横浜ホームで活動中のCUTTER TEAM チーム方針 【 だましだまし行こうぜ! 】
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2003年 某月 某日
【尻、キャプテン就任】
前年、横浜港カッターレースに出場したYTLカッター部、この年も引き続き大会出場の予定であったのだが・・・
異動などの事情で、前任キャプテンJ氏を含む数名がチームを離脱する事になり、窮地に陥る。
そこで、
「俺がやります!!」
となったのか
「尻君、頼むよ。ね?」 「えぇ・・・めんどくせぇな~」
となったのか・・・?
多分、彼の性格からすると、後者だろう。
ま、きっかけはどうあれ、経験2年目にして、尻がキャプテンに就任する事となった。
『キャプテン 尻』の誕生である。
【殺&重の加入】
離脱したメンバーを補うために、共同ターミナル各社から人集めを始めたキャプテン尻。
自社からは、同じターミナル勤務の後輩 「殺」 に白羽の矢が立った。
そしてもう一人、共同ターミナルとは全く関係の無い部署に居た「重」が、ウワサを聞きつけて立候補してきた。
重「カッター?何それ、面白そうじゃん、俺も混ぜろ。」
この根っからの海好き男には、カッターが魅力的に思えたらしい。
こうして、殺と重が加入。チーム名も「Y.T.L CUTTER CLUB」に改め、何とか横浜レースへの出場が叶った。
【第20回横浜港カッターレース出場】
横浜レースに出場が決まったY.T.L CUTTER CLUBは、同業であり、毎年横浜レースに5チーム以上エントリーしている大所帯&強豪の『S倉庫』さんのご好意で、練習に金魚の○ンのごとく着いて行く事に。
東京商船大学(現海洋大)にて、うまれて初めてカッター(9m艇だった)に乗った殺&重。
重は、その櫂の重さと、漕ぎの難しさに軽いパニックに陥り、流してしまった櫂を手放すという暴挙を演じてみせた。
殺はその超軽量ボディ故、櫂を支える事さえままならず、艇指揮というポジションに収まった。
それでも、数回の商船大学での練習に通いきれたのは、毎回練習終了後の食事&ビールをY.T.Lの経費で出してもらえたからか!?
かくして、とりあえずの漕ぎ方を覚えて出場した横浜レース。何がどうなったのか、予選第25レースを漕いで、1着でゴールを切ってしまった。 タイムは、3分16秒08
当然過酷を極める横浜レースで、こんなタイムでは準決勝進出はならなかったが、それでも、1着でゴールを切るという経験に、この素人達が狂喜乱舞したのはいうまでもない。
こうして、2003年シーズンは終了。
レース後日には、横浜の立派なホテルでのディナーにご招待頂き、Y.T.L幹部の皆様にレースの労をねぎらって頂いた。
このVIP待遇に、
「カッターっていいね!」と、不純な理由で、来年のレース出場を決意したメンバー達であった・・・
【尻、キャプテン就任】
前年、横浜港カッターレースに出場したYTLカッター部、この年も引き続き大会出場の予定であったのだが・・・
異動などの事情で、前任キャプテンJ氏を含む数名がチームを離脱する事になり、窮地に陥る。
そこで、
「俺がやります!!」
となったのか
「尻君、頼むよ。ね?」 「えぇ・・・めんどくせぇな~」
となったのか・・・?
多分、彼の性格からすると、後者だろう。
ま、きっかけはどうあれ、経験2年目にして、尻がキャプテンに就任する事となった。
『キャプテン 尻』の誕生である。
【殺&重の加入】
離脱したメンバーを補うために、共同ターミナル各社から人集めを始めたキャプテン尻。
自社からは、同じターミナル勤務の後輩 「殺」 に白羽の矢が立った。
そしてもう一人、共同ターミナルとは全く関係の無い部署に居た「重」が、ウワサを聞きつけて立候補してきた。
重「カッター?何それ、面白そうじゃん、俺も混ぜろ。」
この根っからの海好き男には、カッターが魅力的に思えたらしい。
こうして、殺と重が加入。チーム名も「Y.T.L CUTTER CLUB」に改め、何とか横浜レースへの出場が叶った。
【第20回横浜港カッターレース出場】
横浜レースに出場が決まったY.T.L CUTTER CLUBは、同業であり、毎年横浜レースに5チーム以上エントリーしている大所帯&強豪の『S倉庫』さんのご好意で、練習に金魚の○ンのごとく着いて行く事に。
東京商船大学(現海洋大)にて、うまれて初めてカッター(9m艇だった)に乗った殺&重。
重は、その櫂の重さと、漕ぎの難しさに軽いパニックに陥り、流してしまった櫂を手放すという暴挙を演じてみせた。
殺はその超軽量ボディ故、櫂を支える事さえままならず、艇指揮というポジションに収まった。
それでも、数回の商船大学での練習に通いきれたのは、毎回練習終了後の食事&ビールをY.T.Lの経費で出してもらえたからか!?
かくして、とりあえずの漕ぎ方を覚えて出場した横浜レース。何がどうなったのか、予選第25レースを漕いで、1着でゴールを切ってしまった。 タイムは、3分16秒08
当然過酷を極める横浜レースで、こんなタイムでは準決勝進出はならなかったが、それでも、1着でゴールを切るという経験に、この素人達が狂喜乱舞したのはいうまでもない。
こうして、2003年シーズンは終了。
レース後日には、横浜の立派なホテルでのディナーにご招待頂き、Y.T.L幹部の皆様にレースの労をねぎらって頂いた。
このVIP待遇に、
「カッターっていいね!」と、不純な理由で、来年のレース出場を決意したメンバー達であった・・・
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