忍者ブログ
2025.05│ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

横浜ホームで活動中のCUTTER TEAM     チーム方針 【 だましだまし行こうぜ! 】

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2004年 某月 某日
【新メンバー加入】

前年の横浜港カッターレースでの予選レース1着に気を良くしたメンバー達
※予選1位では無い。あくまでも予選レース4艇の中で1着。ほぼくじ運。

「今年も気合入れて行くぞ~!」

と、意気揚々だったが、そうそう上手く行くわけも無く、またも異動等によるメンバー離脱の目に逢う・・・
それでも、捨てる神あれば拾う神有り?で、新しいメンバーが加入した。

“ありがとう”の会社から、たけちゃんが、
“ダイヤモンド”の会社から、飛鳥Ⅱがそれぞれ加入した。


【東京商船大学での練習】

去年に引き続き、強豪S倉庫さんのお世話になって、東京商船大学で行われたS倉庫さんの練習にお邪魔したメンバー。

数回の練習を経て、
左舷     右舷
吉家     重
尻       松本
殺       たけ
山崎(長)  飛鳥Ⅱ(指)

という、初期Y.T.L黄金メンバーが確立された。



今では左舷のバラストとなって、すっかり2番の艇座に根っこを生やした重だが、当時はまだ右舷。
自分は右舷のエースになるんだ!と、わけのわからない希望に燃えていた。


殺はこの年、漕ぎ手デビューしたのだが・・・
この時にはまだ、その軽量ボディで櫂を支えるのがいっぱいいっぱい。
後年、他チームから
「ストロークのお手本。」
「ビデオに撮って持ち帰りたい。」
などと言われる6番の漕ぎの片鱗も、まだ見せてはいない。


2004年 5月 某日
【第21回横浜港カッターレース】

迎えた横浜港カッターレース。

去年に引き続き、予選レース1着、あわよくば準決勝進出!と、今考えると「甘すぎる!!」としか思えない目標を胸に、レースに臨んだメンバー。

結果は、第32レースを漕いで見事1着!
2着艇に20秒の大差をつけてのゴールであった。
タイムも、2分56秒63と、夢の2分台に突入に狂喜乱舞するメンバー。
それでも、当然準決勝には上がれない・・・

「予選1着は嬉しい!」

「でも、準決勝進出は叶わない。」

「くじ運が良かっただけ?」

「練習頑張ったのに・・・」


様々な思いをめぐらせながら、準決勝→決勝と進むレースを横目に、シウマイ弁当とビールに酩酊していくメンバーであった・・・

PR
2003年 某月 某日
【尻、キャプテン就任】

前年、横浜港カッターレースに出場したYTLカッター部、この年も引き続き大会出場の予定であったのだが・・・
異動などの事情で、前任キャプテンJ氏を含む数名がチームを離脱する事になり、窮地に陥る。

そこで、
「俺がやります!!」
となったのか
「尻君、頼むよ。ね?」 「えぇ・・・めんどくせぇな~」
となったのか・・・?
多分、彼の性格からすると、後者だろう。

ま、きっかけはどうあれ、経験2年目にして、尻がキャプテンに就任する事となった。
『キャプテン 尻』の誕生である。



【殺&重の加入】

離脱したメンバーを補うために、共同ターミナル各社から人集めを始めたキャプテン尻。
自社からは、同じターミナル勤務の後輩 「殺」 に白羽の矢が立った。

そしてもう一人、共同ターミナルとは全く関係の無い部署に居た「重」が、ウワサを聞きつけて立候補してきた。

重「カッター?何それ、面白そうじゃん、俺も混ぜろ。」
この根っからの海好き男には、カッターが魅力的に思えたらしい。


こうして、殺と重が加入。チーム名も「Y.T.L CUTTER CLUB」に改め、何とか横浜レースへの出場が叶った。


【第20回横浜港カッターレース出場】

横浜レースに出場が決まったY.T.L CUTTER CLUBは、同業であり、毎年横浜レースに5チーム以上エントリーしている大所帯&強豪の『S倉庫』さんのご好意で、練習に金魚の○ンのごとく着いて行く事に。



東京商船大学(現海洋大)にて、うまれて初めてカッター(9m艇だった)に乗った殺&重。
重は、その櫂の重さと、漕ぎの難しさに軽いパニックに陥り、流してしまった櫂を手放すという暴挙を演じてみせた。

殺はその超軽量ボディ故、櫂を支える事さえままならず、艇指揮というポジションに収まった。

それでも、数回の商船大学での練習に通いきれたのは、毎回練習終了後の食事&ビールをY.T.Lの経費で出してもらえたからか!?


かくして、とりあえずの漕ぎ方を覚えて出場した横浜レース。何がどうなったのか、予選第25レースを漕いで、1着でゴールを切ってしまった。 タイムは、3分16秒08
当然過酷を極める横浜レースで、こんなタイムでは準決勝進出はならなかったが、それでも、1着でゴールを切るという経験に、この素人達が狂喜乱舞したのはいうまでもない。


こうして、2003年シーズンは終了。
レース後日には、横浜の立派なホテルでのディナーにご招待頂き、Y.T.L幹部の皆様にレースの労をねぎらって頂いた。
このVIP待遇に、
「カッターっていいね!」と、不純な理由で、来年のレース出場を決意したメンバー達であった・・・


【結成】

2002年 某月 某日

横浜港の片隅で、ひとつのカッターチームが結成された。
チームの名前は「TYLカッター部」
横浜港で、コンテナのターミナル業務を行う企業の共同体YTLが母体のチームだ。



結成にあたり、YTL幹部の間で

『我々も横浜港で仕事をする企業として横浜港カッターレースに、協賛する事になりました。』

「そうなの? じゃあ、うちからも1チーム位出して盛り上げないといけないんじゃない?」

『いや・・・でも、うちにはカッターなんて漕げるような若い者は居なくてですね・・・』

「そんなのあれだ、ほら、共同ターミナルの各社から1人づつ元気の良いの集めればいいだろ。」

『わかりました! さっそく今月の会議で各社に伝えます。』





という会話があったかどうかは定かでは無いが、およそそんなもんだったろう。


かくして、共同ターミナル各社から、活きが良くてヒマそうな若者が集められた。

その中の一人が、現キャプテンの「尻」。

でも、当時はカッターの「カ」の字も知らない全くの素人、ただの兵隊の一人だった。




【第19回横浜港カッターレース】

2002年 5月19日

このほぼ素人で構成された「YTLカッター部」は、それでも数回の練習を行った後、YTL幹部の期待を一身に背負い、第19回横浜港カッターレースに出場。

第13レースを漕いで、残念ながら4着(ドベ)にてゴール。
タイムは、3分30秒69  
この記録は、未だ更新される事なく、チームワースト記録としてチーム史に燦然と輝いている笑。


その後、レースが準決勝→決勝と進んでいく中で、キャプテン(尻)は何を思ったのだろうか・・・?

■強豪チームの揃った漕ぎを見て、レベルの差に愕然としたのか?

■自分達のふがい無さに拳を握りしめたのか?

■それとも、お疲れ様のビールですっかり酔っ払ってしまっていたのか!?


それは本人にしかわからない・・・

しかし、それから10年の時を経て、このチームがその決勝のスタートラインに並ぶようなチームになる事、そして、自分がキャプテンとしてそのチームを率いている事を、この時の彼は知る由も無かっただろう。


ちなみに、この年の一般レース優勝チームは、「MY MOTHERS」
もちろんこの時には、キャプテン(尻)はMY MOTHERSの事を何も知らない。




こうして、記念すべき2002年シーズンは終了した。
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
[12/09 筆者]
[12/07 酔]
[12/07 酔]
[12/07 筆者]
[12/06 酔]
最新TB
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター